7/22/2008

ヴァンデヴェルデのプロフィール

Times OnlineよりTDFBlog経由)

  • お父さんのジョンさんはベルギー系二世。サイクリングは祖父が最も敬愛するスポーツだった。道路工事用のバリア製作という家業に就くが、サイクリングこそが彼のパッションだった。そして1968年、1972年に五輪出場。

  • 1976年は長男のクリスチャンが誕生。1979年にはチンザーノチームの悪役として映画「Breaking Away」にも出演(ええー!そうだったのですか!すっかり見逃してました。また借りてこなきゃ)。「親父が有名人だということはこの映画で初めて知った。テレビで放映された時は、9時を過ぎても寝ないでテレビを見せて貰えたのがとても特別な出来事だったのを覚えている」とクリスチャン。

  • 高校ではゴルフの才能も見せたものの、運命を逃れることはできなかった。ジョンさんは解体可能な木製トラック(「ヴァンデ・ドローム」(笑))で自転車に乗ることを息子に教えた。父親の友人達からはレーシングキャップを貰ったり、Patrick Sercu他、有名なベルギー人選手がシカゴを訪れた際は家にも迎えたり。

  • 15歳の時にモトロラ所属のTom Schulerが主催するウィスコンシン州のサイクリングキャンプに友人と一緒に参加。キャンプでは雨が降りっぱなしだったが、自転車に夢中になったクリスチャンはアイオワ州デモインで開かれたレースでデビュー。でも「クラッシュして、85ドルもしたショーツがボロボロ。親父に何て言われるか心配でしょうがなかった。」

  • 1998年にUSPSとプロ契約。そこで才能はあるが、風変わりなヴォータースに出会う。「おかしなヤツだったよ。変で、汚らしくて、誰もルームメートになりたがらなかった。自分は『ああ、一緒に放り込んでおいてよ』という感じだったけれど、彼は他の奴らとは違っていた。肩肘を張ることもなく、トレーニングとか食事について教えてくれたし、サイクリング以外のことも話すのが好きだった。良い友人だった。」

  • フェスティーナ事件のことを知ったのは初シーズンが6ヶ月過ぎた頃で、カスケード・クラシックの最中だった。「自分は全く影響されなかった。あまりにも遠くにいたから。1998年、1999年は自分にとって最高の時期だった。」

  • 1999年1月、ソルヴァングで行なわれたハミルトン、アンドリュー、ヴォータース、リヴィングストン、ヒンカピー、そしてランスを含むUSPSチームキャンプで行なわれた10kmタイムトライアル。血液検査結果のトップはランスではなく、22歳のヴァンデヴェルデだった。しかしスタッフはランスが機嫌を損ねるのを恐れたため、結果がストレートにチームに伝わることはなかった。その後8年間、脇役がはまり役となってしまう。

  • 1999年には早くもツールデビュー。プロローグでは14位、ホワイトジャージーも手に入れた。ランスのために働きながらも最終TTでは16位。ヴォータースも驚かせた。

  • 「あの一年は楽しかった。一つのキャンピングカーは、ケヴィンとタイラーとランス用。もう片方には5人がギュウギュウ詰めで、寝る場所もないくらい。でも最悪だったのはアルプ・デュエズ。腱鞘炎がひどく、初めてグルペットで走った。フィニッシュまで7時間もかかり、もうおしまいだと思った。『もうこれ以上は続けられない』といったら、『いや、続けて貰わないと。続けるほかないんだ。』とランスに笑い飛ばされた。でも役に立つというよりは、ダメージの方が大きかったと思う。」

  • 2001年のツールでは3連勝というプレッシャーがのしかかっていた。「間違いは許されない環境。チームの規模も予算も増え、ツールに出場するだけでかなりのプレッシャーがあった。」TTTでクラッシュ、別のステージでもクラッシュした後、雨の降るバスティーユ・デーに再び事故。下降中にポールに激突、背中を強打、腕は骨折。骨折のせいでシーズンは終了、背中は2003年末まで後遺症を抱えることに。ポスタルとの契約も更新されることはなかった。

  • 2004年シーズンはリバティ・セグロスに移籍。しかし、チームがビザを獲得することができず、シーズンの半分を自宅で過ごした。2005年はCSCに移籍。しかし前年のレース不足と背中の後遺症がたたり、ジロは完走したものの、身体的にはボロボロ。ジローナに帰宅後、もう引退しようと葉巻に火をつけ、奥さんとワインを二本空けた。午後3時にジョナサン・ヴォータースに電話を入れ、「監督をもう一人要らないか」と打診した。

  • しかしヴォータースは選手として続けるよう彼を説得。ツールは出場せず、トレーニングを再開し始めたところで、トヨタ・ユナイテッドのショーン・タッカーから移籍しないかとの電話が入る。このニュースでリラックスすることができ、CSCでの仕事にも精が出るように。

  • それでも自分に自信を持てることはできなかった。ブエルタでは逃げにも入り、そのまま逃げ切れる時点に差し掛かったそのとき、チームカーからにらみつける監督の目(←リース...怖い...)。「ステージ優勝できるか。」ノーと答えれば、チームがただちに追走を開始する。イエスと答えて勝てなければリースの怒りが爆発する。その年のブエルタだけで同じことが5回あった。そして常に「ノー」と答えてきた。

  • そして2006年は鎖骨を二回骨折。しかしその年のツアー・オブ・ルクセンブルグでは優勝。ヨーロッパのレースでの初優勝だった。その後もCSCとの関係は上々。プロトンでも最高級のアシストとして地位を確立する。そんなある日、ヴォータースから電話が入る。「アメリカのチームで、若手のアメリカ人選手に自分の経験を語り継ぐいいチャンスだと思った。リーダーになるなんてことは全く考えていなかった。」しかしヴォータースには別の考えがあった。「『バスの側面にもお前の顔を大きくペイントするから』といわれて、最初はどうでもいいやという気持ちだったけれど、実物を見せられたときはリーダーとして選ばれたことに対する不安しかなかった。」

  • 今年のツール開始後もその不安は抜けなかった。最初のTTの日もホテルの廊下でヘッドホンをつけ、うろつくヴァンデヴェルデの姿が見られた。自信をつけるための自己暗示トレーニングだったという。

  • Super-Besseへの登りでのアタックについては「異常な感覚だった」とブログに記した。そしてオータカムゴールの日、結果を見せられた彼の目は初めて何かを認識したかのように、とっさに輝きを増した。単にラッキーな結果ではない。自分はレッドゾーンにも入っていなかったのだから。TTではエヴァンスに負けるかもしれない。けれども、総合優勝できるかもしれない。そして心が躍った。恐怖も感じた。これは未知の世界だから。

  • 「何かを達成するということは、達成しないときよりもずっと恐ろしい。ツールを優勝することを考えてみることがある。自分の家族、そして人生がどう変わるのか。親父がテレビの前にひれ伏しているところを想像してみたり。映画のストーリーみたいだ。CSCに残っていたら、全く同じコンディションであったとしても、誰かのアシストでしかなかっただろう。3位なんてもってのほか。ビヤルネなら決して、ジョナサンがしてくれたように、自分のためこれほど素晴らしいプログラムを立ててくれることは無かっただろうね。」

  • そして特に素晴らしいのはクリーンなまま走れること。「いい走りを見せれば元ポスタル所属だということで色々聞かれるだろうけれど、去年と今年を合わせて87回の血液検査を受けたこと、どんな薬物を摂取して、どれを摂取していないかということが全て文書化され、ACEがそれを証明できるということが嬉しい。確かに面倒なプロセスだけれど、やってきた甲斐があった。」

  • ウィスコンシンにいるTom Schulerからも応援のメッセージが来ていた。「ウィスコンシンの皆、そしてアメリカ全土のサイクリストが君を応援している。このメールに答える必要はないから。その代わりに、その余分のエネルギーをこの先数日間にまわして。君なら絶対にやり遂げてくれると信じているけれど、それには最後1オンスのエネルギーまでが必要とされるからね。」そしていつのまにか、本人もこれを信じることができるようになっていた。


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シュレックがイエロージャージーに袖を通した日に真っ先にお祝いのメールが入ったのはヴァンデヴェルデから。オータカムでのステージで最後スプリントしたおかげで、エヴァンスが一秒差でジャージーをキープした日も「すまん。今度ビールおごるから」とシュレックにメールを打っていたそうです。いやー、全く非の打ち所の無いような「いい人」ですね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なるほど〜。ヴァンデヴェルデはこんな人物だったんですね。
どうも影が薄いというか、特徴がないというか、目立たないというか(ヒドい!)、いまいち注目していなかったのですが、イイ人キャラとしては立派ですね!これからは注目していかないと、ですね☆
にしてもやはり選手から見てもランスやリースは怖いんでしょうか(笑)

dido さんのコメント...

お、早速サイクリングタイムさんにも登場ですね。有難うございます!

どこに行ってもアクの強いチームメイト(そして監督達)の下で地味な選手人生を歩んできたヴァンデヴェルデですが、ようやく彼の素質を生かしてくれるチームで活躍できて本当に良かったです。パリでポディウムに登った所もがめんださんに描いてもらえるように、ぜひぜひ頑張って頂きたいです。

>ランス
ザブやランディスはあまり怖がっていなかったようですが、真面目なタイプの選手はビビるでしょうね。リース監督は誰がみても怖いと思います(笑)。